こんな
インド人は
イヤだ!!


 第一幕
 第二幕
 第三幕
 第四幕
 第五幕
 第六幕
 第七幕
 第八幕
 第九幕
 第十幕
 第十一幕
 第十二幕
 第十三幕
 第十四幕
 第十五幕
 第十六幕
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Traveling to India


ちょっと一息?

ミネがインドに来る前は、こんなこともありました。

SSSより
「作者は今年の夏インドへ行ってきました」



第七幕
こんなインド人ならイイかもしれない!


 いよいよカルカッタともお別れの日がやってきた。日本からやってきたよくわからない野郎どもに親切にしてくれた人々は勿論、俺らを騙そうとしたヤツらの顔も、いざこの町を去ろうとする今になってみると懐かしく思い出されるものである。あの「タイムテーブル」のガイドは元気にしてるだろうか?あの口のきけないバンダナは今ごろまた誰かを騙そうとしているのか?あの二人組は刑務所でよろしくやってるだろうか?
 ホテルのマネージャーに少し多めのチップを渡して、そこを後にしたのが午後八時半。列車は十時発。駅に行くのは二度目とはいえやはり慣れない場所、早めに着くのに越したことはない。少し急いでタクシーをつかまえ、いつものように値段交渉をし、乗り込んだ。
 タクシーが動き出す。さよなら、サダルストリート。その雑然とした光景、たくさんの欲望と少しの人情、ミネは一生忘れはしないだろう。本当にこの町が大・・・

 パーン!!ガタガタガタ・・・

 駅まで半分くらい行ったところで、嫌な音と共にタクシーの調子がおかしくなった。パンクだとすぐに分かった。

 あぁ、カルカッタよ。お前は私に感慨に浸り、一筋の涙を流す余裕さえも与えてくれないのか?

 ゆっくりと路肩にタクシーを止めドライバーは言った。

「ファイブ・ミニッツ!!」

 そして、いそいそと外に出てトランクを開けだした。こんなに交通量の多い大通りで修理を始めるようだ。ミネと相棒も車の外に出て、できることは少し手伝いながら様子を見守った。

相「別のをつかまえたほうがよくねぇ?」
ミ「ああ。『ファイブ・ミニッツ』って言ったけど、あれは英語の方便みたいなものだからな。」
相「少々お待ち下さい、みたいなものだよな。でもどう見てもこりゃ結構時間かかるぞ。」
ミ「少し待って、別のを探すか・・・。」



 五分後。

ドライバー「(さぁ、乗ってくれ!)」


本当に直しやがった!!


 ミネは車のことはよく知らないが、日本でパンクを五分弱で直してしまう運転手はそんなにはいないだろう。インド人のたくましさを思わぬところで目の当たりにしてしまった。
 かくしてミネたちはちょっと長めのピット・インの後無事に駅に到着、次の目的地ガヤ行きの列車に乗り込んだ。  
 


第八幕
こんなインド人はイヤだ〜よ!


 カルカッタを寝台列車で後にしたミネたち四人は、次の日の朝早くガヤ駅へ着いた。一行はここからブッダ・ガヤという町を目指す。ブッダ・ガヤは小さな町である。その中心はマハーボーディという寺院で、ここにはブッダがその下で悟りを開いたとされる菩提樹があり、そのマハ−ボーディを囲むようにタイ式、ミャンマー式、日本式などの多数の寺が建っている。つまり仏教の聖地であり、ダライ・ラマもよく訪れるらしい。そんな折には世界中から敬虔な仏教信者が一目お会いしたいと多数押しかけ、町はごった返すらしい。
 ガヤ駅からブッダ・ガヤまではバスやオートリキシャで行くのが便利だ。オートリキシャとはバイクの後ろに客席をつけたような乗り物で、4・5人の相乗りができる。カルカッタではリキシャやタクシーがポピュラーであり、四人はオートリキシャを初体験することになった。小さなオートリキシャに四人と運転手が押し合いへし合いしながら乗り込み、田舎道を水牛や山羊などを横目に見ながらブッダ・ガヤへと走った。
 30分もすると安宿街に着く。聖地とはいえ今はオフシーズンの早朝、町は閑散としている。オートリキシャを降りるとすかさずインド人が寄ってくる。もうさすがに慣れた。

印「うちのゲストハウス泊まらない?安いだ〜よ。」

 日本語話せるヤツは何人も見たが、こんなに個性的な話し方のヤツはいなかった。読者にできるかぎり分かりやすく説明すると、コントを演じるウッチャンだろうか。またこの文章をゲーマーがお読みなら、FF10のシパーフ使いと言えばピンと来るだろうか。

ミネ「それ、どこ?」
印「向こうだ〜よ。ウェルカムというゲストハウスだ〜よ。」
ミ「遠いな。とりあえずこのあたりの宿をまず当たってみるよ。」

 誘われたら断るのが基本。やっとインドにも慣れてきた。
 実はカルカッタで合流した二人の先輩のうち一人はとても英語が達者で、そのために値段交渉が上手い。今回もその先輩に頑張ってもらって、スムーズに宿を決めることができた。しかも、スウィートルームを四人で800ルピー(一人一泊六百円)である。ミネも将来はこれくらい英語が上手くなりたい。
 交渉の様子を横で見ていたインド人は自分の宿に客を呼び込めず、少し悔しそうな顔をしながら、

印「このホテルに決まったの?いいなぁ〜!それじゃ、僕のお兄さんのやってる土産物屋さんに来てよ。安いだ〜よ。」

 転んでもただでは起きないヤツである。

ミ「でも、列車で着いたばかりで疲れたから少し部屋で休むよ。」
印「いいよ。それじゃ僕はここのロビーで待ってるだ〜よ。どれくらいで来る?」
ミ「そうだな・・・一時間くらいかな。」
印「僕の名前はアショカだ〜よ。ここで待ってるだ〜よ。」

 四人は部屋へ入った。昨晩列車の出発時刻の関係でシャワーを浴びられなかった四人は、交代で昨日の汗を流すことにした。ところが、ひとりが入っている間に他の三人は長旅の疲れから眠りに落ち、上がってきた者もつられて眠りに落ち、結局四人全てが熟睡状態に入った。

 午後一時、四人が起き出す。

ミ「眠っちゃいましたねぇ。あいつに一時間って言ってたのに。」
相棒「待ちくたびれて帰ったんじゃないか?まぁ、ウザかったからいい気味だ。」
先輩「チェックインが八時だったもんねぇ。」
相「とりあえずホテルのレストランで昼飯食って、マハーボーディに行きますか。」

 四人は昼食をホテル内で済ませ、午後二時にマハーボーディに向かった。ホテルを出た途端、あの声が聞こえた。

アショカ「遅いだ〜よ。待っただ〜よ。」



 待っていやがった、六時間も・・・
 オフシーズンということでよほど観光客が少ないらしい。ミネたちしかマークするようなヤツがいないのだ。やれやれ・・・。

 午後はブッダ・ガヤとその近郊を観光して回ったが、アショカはずーっとついて来やがった。おまけに途中から土産物屋をやっているという兄貴も合流した。こいつはアショカの数倍日本語が達者で、なかなか有能なガイドであったが、最後には土産物屋に連れて行きたいのは見え見えであった。まぁ行くだけ行ってやってもいいか、ということで観光が一通り終わった後、その店に寄ってやることにした。
 その店はマハーボーディ寺院のすぐ近くにある。中は真っ暗、商品もほこりをかぶっている。

兄貴「ごめんなさい、最近停電が多くて。これ使ってください。」

 懐中電灯を出してきた。こんな怠慢経営の店、日本にあったら文句の一つも言いたくなるが、アショカはともかくこの兄貴のガイドはなかなか面白かった。見るだけならタダだし、と思って暗い中陳列された商品を眺めていた。石を彫って作った置物やグラスや灰皿などがメインである。奥の方には見るからに高そうな仏像もある。ふと、小さな象の置物に目が止まった。手のひらに乗るほどの大きさで、けっこう作りも凝ったものだ。実家の土産にいいかもしれない。

ミ「お兄さん、これいくら?」
兄「それは100ルピーです。」

 三百円。まぁ悪くない。しかし、海外で新しく来た町の初めて入った店で買い物をするのは危険である。インドでの買い物はほとんど全て、向こうが最初に値段を言ってから交渉して値切っていく形である。相場が分からないとまともな交渉はできない。二倍くらいボッタクられることもあると聞いている。

ミ「うーん。まぁ、明日までこの町にいるし、ちょっと考えとくよ。」

 四人ともその日は何も買わずに店を出た。
 ホテルに帰る道にも土産物屋の露店はたくさん並んでいた。兄貴の店は石細工がほとんどだったが、露店は数珠、絵画その他何に使うか分からないものまで品揃えはバラエティに富んでいる。すると、さっき見た象の置物を見付けた。大きさ、作り、全く同じであり、それが十数個も並んでいる。どうやら量産品のようである。

ミ「(すみません、これいくらですか?)」


店主「(ああ。20ルピーだ。)」


 そこの店主だってミネを外国人旅行者と見てボッタクろうとしているはずなのだ。ということはあの置物の適正価格は10ルピーくらいだろう。兄貴・・・かなり度胸あるな。

 アショカの「安いだ〜よ」はその後数日、ミネの頭から離れなかった。


第九幕
こんなインドの小学生はイヤだ!


 前回書いたように、ブッダ・ガヤは寺院が多い。そして、それらの寺院が運営している学校がたくさんある。日本の学校のように義務教育ではなく、学年などもはっきりとは決まっていないようだが、寺院の学校で教育を受けている子供たちは多い。教育を受けられるからその家庭は裕福なのだというわけでもないようだ。ボロボロのTシャツに壊れかけのサンダルをつっかけて学校へ行く小学生くらいの子供はよく見かける。カルカッタでも小学校や幼稚園は見たが、中の子供はきれいな制服を来ており、その塀の外側ではほぼ半裸の同年代の子供が物乞いをしていた。そのような光景とはえらい違いだ。寺院ということもあり、慈善事業のような色が強いのだろう。
 ガヤから発つ日の午後、列車の時間までミネは大通り沿いの露店を見ながら暇をつぶしていた。すると子供が三人、ミネのもとに寄って来た。10歳くらい、8歳くらい、6歳くらいと年齢はまちまちのようである。話し掛けてきたのはその中の8歳くらいの男の子である。

男の子「ハロー!ホワッツ・ユア・ネイム?」

 名前から聞いてきた。これまでにはなかったタイプである。しかし相手は小学生くらい。あまり深いことを考えることもないだろう。

ミ「(ミネ。)」
子「(始めまして、ミネ。日本から来たの?)」
ミ「(そうだよ。インドに来て十日くらいになる。)」
子「(へぇ。この町はどう?)」
ミ「(静かでいい町だね。もう今日でヴァラナシに行っちゃうけど。)」

 なかなか感じのよい子供である。英語もよく話す。少しの間、この子供との会話を楽しんだ。聞くと、三人は同じ学校で勉強しているが、他の二人は入学したのが彼より遅かったので英語はあまり話せないらしい。学校では英語と数学を習っており、午前中で授業は全て終わる事も教えてくれた。今日も学校が終わって、友達と一緒に町の方まで出てきたのだそうだ。

ミ「(学校は楽しいかい?)」
子「(うん。でも困ったことがあるんだ。)」
ミ「(ほぉ、それは何だい?)」
子「(僕たち、学校で勉強するためのペンを持ってないんだ。ねぇミネ、ペン持ってない?)」

 なるほど、これが目的か。別にあげてもいいんだが、一人にあげると次々に子供たちがタカって来そうだ。そうなると困る。

ミ「(ああ、ごめんね。ペンは持ち歩いてないんだ。)」
子「(そうなのか。じゃあ、ペン買うためのお金くれよ。20ルピーで買えるんだ。)」

 金を渡すのか・・・。それが言った通りペンに変わるならいいんだが、子供だしねぇ。お菓子なんかに変わっちゃうんじゃないの?
 どうしようか迷っているとその子は言った。

子「(じゃあ、あそこの店に5ルピーでビスケット売ってるから、5ルピーくれよ。)」



 ・・・ああ、やっぱり。所詮、子供の考えることだ・・・。

 しかし、学校で習った英語を精一杯駆使して話し掛けてきてくれるのだ。ここで簡単に突っぱねてこの子の勉強へのやる気を削ぎたくない。それに、慈善事業として恵まれない子供たちに教育を施す学校に敬意も感じている。お菓子に変わってしまうお金を出すのではなく、きちんと子供たちの教育に役に立つ方法で、少しでも力になりたかった。

ミ「(君たちが勉強を頑張っていることはよく分かった。少しでも力になりたいが、僕は貧乏旅行の最中でお金がない。だから、日本に帰ったら寄付を送る。住所を書いてくれるかい?)」

 しっかり学校に金が届けば設備の充実に使われるはずだ。そして、この話を聞いたその子は目を輝かせた。話の一部始終を聞いていた近くの露店の店主が紙とペンを貸してくれた。その子は他の二人と、ああでもないこうでもないと相談しながら学校の名前、住所、彼自身の名前と、ゆっくりゆっくり書いていく。ほほえましい光景である。

 全て書き終わったようだ。露店の店主にスペルのチェックをしてもらっている。店主と二言三言交わした後、その紙をミネに持ってきた。

子「(絶対、送ってね。約束だよ。)」
ミ「(分かった。約束する。)」

 このままで終わればよかったのだ。そう、このままで終われば。

子「(ねぇ、これは僕のための寄付?)」
ミ「(いや、学校のため。生徒みんなのためだよ。)」


 そのときのその子の本当にガッカリした顔が印象的過ぎて


日本に帰ってきた後少し悩んだが、先日インド旅行で余ったルピーを封筒に入れ、郵便局へ行ってきた。
 

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