こんな
インド人は
イヤだ!!


 第一幕
 第二幕
 第三幕
 第四幕
 第五幕
 第六幕
 第七幕
 第八幕
 第九幕
 第十幕
 第十一幕
 第十二幕
 第十三幕
 第十四幕
 第十五幕
 第十六幕
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Traveling to India


もうお気付きの方も多いとは思いますが、本編では2種類のカッコを使用しています。
「   」では日本語を、あるいは英語をカタカナかアルファベットで表記しています。
「( )」ではミネの聞いた英語を翻訳して表記しています。
訳者はミネです。戸田奈津子先生ではありません、悪しからず。



第四幕
こんなインド人に疑心暗鬼!


 インドに一番深く根付いている宗教はヒンドゥー教である。よくステレオタイプなインド人像として、眉間に朱色の粉のようなものをを塗っている姿が描かれるが、これはヒンドゥー教の文化である。ヒンドゥー教徒は、牛を神聖なものとして口にしない。そして、インドにはイスラム教徒も数多く存在する。カルカッタにもサダルから少し離れたところに小さなモスクのようなものがあって、定時になると信者が集まりメッカの方を向いてお祈り、というあの独特の光景を見ることができる。イスラム教徒は豚を不浄のものとして口にしない。こうして、インドでのもっともポピュラーな食べ物は、必然的にチキンカレーとなる。チキン以外の肉はほとんどお目にかからない。ごくたまにマトンカレーを出すレストランがあるくらいである。「インド風ビーフカレー」なんてものは存在しない。
 さて、何故ここで宗教とインドの宗教と食生活との関連に言及したか。別に牛肉が恋しいわけではない。インドのチキンカレーは鶏を適当にぶった切って鍋に放り込み長時間煮込んで作る。骨からのダシが出て大変美味である。チキンカレーにナンを二枚も付ければそれだけでお腹いっぱい。これで相場が50ルピー(=約150円)である。ミネも相棒もインドの食事にはとても満足していた。しかし、日本の一般的な男子大学生二人組みには深刻な問題があった。アルコールである。
 前述の通りインドにはイスラム教が浸透しているが、イスラム教は酒を禁止している。その影響でインド社会では「酒を飲むなんて、ましてや人前で、」というのが共通認識である。町中で酒屋はほとんど無い。あっても裏道にひっそりと、という感じだ。中級くらいのホテルには外国人向けにバーがあることもある。ミネと相棒も行ってみたがヒドいものだ。極薄のカクテルしか置いていない。酔えない。信じられないような高額でジュースを飲んでいるようなものだ。
 アホくさくなったミネと相棒はバーを後にし、酒屋でビールを買って飲むことにした。ビールなら日本とさほど変わらないし、バーで飲むより安価だ。しかし、もう一つ問題がある。インドの安宿は部屋へのアルコール持込を禁止しているところが多く、僕らの泊まる宿もご多分に漏れず禁止であった。さて、どうしたものか。レストランなどには持ち込めない。追い出されるに決まっている。でも飲みたい。

相棒「道に座り込んで飲もう。」

二人はインド社会へのアンチテーゼとなることを決意した。

 サダルの近くの酒屋で瓶ビールを二本買い込み、路上に出る。しかし栓抜きなど、もちろん無い。ミネと相棒が路上でビールの栓と格闘していると、後ろから声が聞こえた。

「そこで頼めば開けてくれるよ。」

 何ということか。言われてみればその通り、酒屋からすれば僕らはお客様。頼めば開けてくれるに決まってる。それよりなにより、インドで聞く初めての流暢な日本語。「ハッパ、ハッパ」と連発するだけのリキシャ引きとは大違い。インド三日目にして初めての日本人仲間だ、と感激して後ろを振り返ると、



 インド人だった。


 そのインド人はそれ以上は何も言わず、少し太めの体を揺らしながら夜の闇の中へ消えていった。本当に、本当に日本人みたいな日本語だった。

 次の日の朝、起きて宿から出るとそいつがホテルの前にいた。道端にお香だの壁掛けだのを広げている。土産物の露店のようだ。

印「おはようございます。」

話しかけてきた。

印「昨日の夜、覚えてる?何か買っていってよ。」

なるほどね。恩を売っておいてボッタクる作戦か。

ミ「いや、ちょっと急ぐから。」
印「そんなこと言わないでよ、ねぇ。一期一会でしょ?」


そんな四字熟語、どこで覚えたんだよ!


印「ねぇ、買ってってよ。うち、火の車やねん。」


今度はことわざ!


 こんなに怪しいやつには付き合ってられん、と逃げるように立ち去った。まさかこんなヤツに、後日世話になることがあろうとは・・・。  
 


第五幕
こんなインド人は即逮捕!


 インド二日目の朝が明けた。前日の夜、苦労して手に入れた時刻表を片手にデリーまでの列車のスケジュールを立てた。日本のように平日、土曜、日曜でダイヤが分けられていると思うと大間違いである。例えば水曜だけ走る列車だとか、逆にある曜日だけ走らないものだとか、隔日で運行するものだとかインドの列車にはいろいろある。その上インドの列車はしょっちゅう遅れる。インド人が「神の操る交通機関」と表現するほどで、二・三時間遅れることは常に念頭において計画を立てねばならない。ある駅に午前中着いて少し観光してから夕方の列車に乗る、なんていうチケットの予約の仕方はやめた方がいい。そのような点を熟慮した上で、ミネと相棒はスケジュールを立てた。少し遅い時間まで睡眠を取って昨日の疲れを癒し、太陽がすっかり真上に昇ったころ宿を出た。
 駅は川の向こう側にあるが、チケットの予約オフィスは川のこちら側にある。昨日は目的地まで距離があったこと、日が落ちるまで時間が無かったことから地下鉄、リキシャ、タクシーと乗り継いだが、今日はカルカッタの町並みを楽しんでみようということで、のんびり歩いていくことに決めた。
 サダルストリートを出ると、それと交差するようにチョウロンギーロードという大通りが通っている。カルカッタの目抜き通りで、地下鉄もこの通り沿いに走っている。ミネと相棒はガイドブックを確認しながらこの道路を進んでいった。少し歩けば大きな交差点があって、左手には白い塔のようなものが建っているはずだ。それを目印に交差点を左折すれば川に突き当たる。あとは右折してまっすぐ進む。完璧だ。30分もあればたどり着くはずだ。道順を把握できたことで少し余裕が出る。
 チョウロンギーはさすがにカルカッタ一番の大通り、人の多さはサダルの比ではない。人ごみを注意しながら掻き分けて進む。物売りも多い。そしてその全員が、外国人が来たと見るや威勢のいい声で呼び込んでくる。気になるものもたまには見かけるがチケットの予約が先である。買い物は帰りの途中でもいい。
 道をしっかりと確認しながら先を急いでいると、一人のインド人が後ろから寄ってきた。

印「ハロー。ナイストゥミーチュー!」

 握手を求められた。怪しすぎるが、とりあえず応えておく。年齢は20くらい、ミネと同じくらいだろう。痩せ型で、なかなか小奇麗な格好をしている。ふと相棒の方を見ると、相棒の隣にも同じようなインド人がピッタリくっついている。どうやら二人組のようだ。

印「(やあ!俺の名前はラム。君たちは日本人かい?)」
ミ「(そうだ。日本から来た。)」
ラム「(本当かい!?実は僕は大学で日本のことについて勉強しているんだ。でも、実際に日本人と話すのは君とが初めてなんだ。すごくうれしいよ!)」

 よくしゃべる野郎である。相棒も似たような感じで絡まれている。

ミ「なぁ、こいつら一体何だ?」
相「ウザいけど、適当に相手しておこうか?」

 するとすかさずラムが突っ込んできた。

ラ「(ねぇ、二人で何を話してるんだい?)」
ミ「(ああ、道順を確認してた。)」
ラ「(そんな水臭いじゃないか。僕らに聞いてくれよ。せっかく出会えたんだ、仲良くしようぜ!)」

 ウザい上に馴れ馴れしい。困ったやつに捕まった。
 結局、二人組はミネと相棒にピッタリと付いたままで、その間ラムはインドの文化はどうだの、ここら辺は悪いインド人が多いから気をつけろだの、話を止めることはなかった。いいヤツに見えないこともないが、どうも怪しい。幸い行き先や泊まっている宿は教えていないが、このままチケットオフィスまで付いて来られて今後のスケジュールを知られたりするのは少しマズそうだ。

ミ「どこかでマキたいなぁ。」
相「ああ、ウザいしな。それに、どう考えても怪しすぎる。」
ラ「(ねぇ、さっきから何話してるんだい?せっかくインドに来たんだ。俺といろいろ話そうぜ?)」
ミ「(・・・ああ。)」
相「(仲良くしようぜ、兄弟!なぁ、この先に川があるんだ。そこの川原でのんびり話でもしようぜ。)」

 これだけは避けたい。親しく接して人気のない所に連れて行き、刃物をチラつかせて金品を奪うというのはよく聞く手口である。

ミ「いよいよ怪しくなってきたな。これは断るべきだな。」
相「当然だ。上手いこと逃げ切ることにしよう。」
ラ「(なぁ、さっきから何話してんだ?早くあっちの川原の方へ行こうぜ。)」
ミ「(ああ、いや俺たち用があるんだ。行かないよ。)」
ラ「(用?どんな用なんだ?俺たちが連れて行ってやるよ。)」
ミ「(いや、二人で行くから。さようなら、またな。)」

 そこまで言うとラムがは顔色を変え、興奮しながらこう言った。

ラ「・・・ドウシテ?ワタシ、アヤシクナイヨ。シンヨウスルヨ!」



 ・・・こいつ、日本語分かってやがった。

 つまり、ミネと相棒が道中、こいつは怪しいだの早く逃げようだの言っていたのもすべてこいつは分かっていて、その上で日本語は分からない振りをしていたわけだ。初めて日本人と会ったなんて絶対ウソ。畜生、なんて奴等だ・・・。しかし、これで奴等は尻尾を出したわけで、ミネと相棒は心置きなく逃げることとなった。


 数日後。その日はカルカッタ市内のインド博物館を見学したあと宿に戻ってくると、

印「どこ行ってたの、お兄さん?なんか買って行ってよ。」

 「一期一会」のあいつがいた。実は酒屋前で栓の開け方を教えてもらったあの日以来、こいつとは時々話をするようになっていた。いつも宿の前で土産物屋を開いているし、少しウサン臭いにしても日本語でインド人と話をできるのは貴重だし、まぁ何となくこいつとは挨拶を交わすようになっていた。名前はサトシ。名乗る名前も日本風である。

ミ「博物館行って来たわ。なぁサトシさん、実はな、何日か前に怪しい二人組みに会ってん。チョウロンギーで歩いてたらな・・・」

サトシ「・・・はぁ。二人組のうち一人が日本語ペラペラやったんやな?」
ミ「ああ、そう。けっこう上手かったな。」
サ「そいつ、どんな格好しとった?」
ミ「まぁ小奇麗な格好でな、身長は俺と同じくらいで髪は丸刈りやったな。」


サ「そいつら、昨日逮捕されたで。
  顔写真、今日の新聞載っとったわ。」



 あとでサトシに聞いたが、ラムたち二人組の罪状は詐欺罪。外国人、特に日本人旅行者に親切に接して、最初は金などの話は一切出さず時には飯をおごったりする。信用を得たあたりで人目のないところに連れ込み、仕掛けのしてあるカードの賭博で金を巻き上げるという手口の常習犯だったらしい。
 遠い異国の地で心細くなり、日本語が恋しくなる旅行者の心理を上手く突いている。しかしこの二人には、苦労して会得した外国語の能力をもっときちんとした方法で生かすことは考えになかったようだ。
 ちなみにサトシは「自業自得だ。」と言っていた。
 


第六幕
こんなインド人は痛い目を見ろ!


 マザー・テレサという名前は、誰もが一度は耳にしたことがあるだろう。スラム街で瀕死の状態になっている患者を連れて帰り、それまで人に愛情を与えられることを知らなかった人々に、せめて最期のときだけは愛情を注ぎながら看取ってあげようという「死を待つ人の家」を始めた方である。そのマザーの生前の活動の中心地はカルカッタであり、マザーが亡くなられた今もその遺志を継ぐシスターとボランティアたちの手により、「死を待つ人の家」をはじめ精神病患者介護施設や孤児院などが運営されている。ボランティアは世界各国から集まっており、一日だけ参加するような観光旅行者も多い。ミネと相棒も何日か行ってみようと計画していた。実はカルカッタで大学の先輩二人と合流することになっていた。別の経路でインド入りした彼らとは五日目に無事落ち合うことができ、次の日から四人で「死を待つ人の家」でのボランティアに参加することとなった。
 ボランティアは朝八時に「マザーハウス」という本部に集まることになっている。そこで簡単な食事をいただき、それぞれの活動する施設へと向かう。「死を待つ人の家」にはそこからバスで行くのが一番便利である。本来なら同じ施設に向かうボランティアを見つけて同じバスに乗っていけばいいのだが、初日四人は「マザーハウス」にたどり着くのに手間取り、着いたころにはすでに他のボランティアは出発してしまっていた。バス停は「マザーハウス」の目の前にあるので、とりあえずバスを待ってみるが、どのバスに乗ればいいのか分からない。朝のラッシュ時ということもあってバスは何本もやってくる。そのくせ路線図や時刻表はない。ああ、もっと早く起きていれば、「マザーハウス」への道順をしっかり確認しておけば、と激しく後悔した。
 すると、インド人が一人寄って来た。頭にはユニオンジャック柄のバンダナを巻き、首からは木彫りの十字架を提げている。程なく次のバスがやってきた。彼は足早にそのバスに乗り込み、ステップから僕らに向かって手招きをしてきた。天の助け!ボランティアは外国人だけとは限らない。この人は「死を待つ人の家」のボランティアに違いない。四人は迷わずそのバスに乗り込んだ。
 バスの中で彼に礼を言う。笑顔で応えてくれるが何も話すことはない。

印「アァー、ウゥー・・・。」

 どうやら口が利けないらしい。身振り手振りでコミュニケーションを図る。

印「(私・キリスト教徒・施設・洗濯。)」

 思ったとおり、ボランティアで洗濯の仕事をしているらしい。運がよかった。彼に会わなかったらどうなっていただろう。
 バスから降りると彼はミネの肩をたたき、こう言った。

印「(施設・この道・まっすぐ。私・店・行く。先に・行く。)」

 え?一緒に行かないの?と思ったが、後で行くと行っていたようだし、とりあえず別れと、もう一度礼を言って先に「死を待つ人の家」に向かった。
 一日の仕事は大変ハードだったが、施設で彼と会うことはなかった。


 次の日、サダルストリートで彼に会った。昨日と同じくイギリス国旗のバンダナをしている。フランス人と一緒である。このフランス人は知っている。「死を待つ人の家」でボランティアをしていた人だ。バンダナの彼は僕らを見つけると笑顔で寄って来た。

バンダナ「(明日・彼・一緒に・郊外。君たち・一緒に・来る。)」

 どうやら彼は、このフランス人と一緒にカルカッタ郊外の面白いところへ行くらしい。明日木曜日はボランティアは休みである。僕ら四人も御一緒させてもらう事にした。そのことを伝えると彼は笑顔で応え、そのフランス人と共に去っていった。

 次の日、彼とは「マザーハウス」で落ち合った。そのまま、タクシーで駅に向かう。あのフランス人はどうしたのか、と尋ねたら

バ「(昨日・二人・飲んだ。彼・寝坊。)」

 酔いつぶれて寝坊しているんだろうとのことだった。結局待つことを諦め、僕ら四人とバンダナの五人で列車に揺られ、郊外へ。
 彼が連れて行ってくれたのは「死を待つ人の家」とは別の、マザーハウスが運営する施設だった。日本ではなかなか見られないそのような施設は勿論、市街とは異なる町の様子など、なかなか面白かった。午前で施設の見学は終わり、また同じように列車でサダルストリートまで帰ってきた。
 サダルまで帰ってくるとバンダナは飯を一緒に食おうと言ってきた。午後二時。確かに少し腹も減った。五人はレストランへ入った。しかし、ミネは少し気になることがあった。相棒にちょっと宿に戻ってくると伝えてレストランを出て、ある所へ向かった。

サトシ「おお、お兄さん!どこ行ってきたの?」

 サトシはいつものように宿の前で店を広げていた。早速気になっていたことを尋ねる。

ミネ「なぁ、サトシさん。いつもバンダナをして十字架を首から提げてるやつがおんねんけど・・・」

サ「・・・ああ!そいつ有名やで!そうやって親切にしておいてな、『実は金に困ってる』言うて金借りてな、何だかんだ言って踏み倒すねん。やられた日本人何人か知ってるわ。」



 やはりそうだったか・・・

 確かに親切にしてくれた。旅行者だけではなかなか行きにくいようなところにも連れて行ってくれた。しかし、会った初日に「死を待つ人の家」で働いていると言ったのに、施設の中では見かけなかった。少し怪しく思っていたのだ。彼にはちょっと痛い目にあってもらおう。

 ミネはレストランに戻った。四人はオーダーを済ませ、食事が出て来るのを待っているところだった。ミネもチキンカレーとナンを頼み、スペシャルゲストの登場を待った。

サトシ「よお、お兄さんたち!ご飯か?ええなぁ。」

五分もしたらサトシがレストランの中に入ってきた。

ミ「なぁ、サトシさん。やっぱりこいつ?」
サ「ああ、そや。兄さんたち気ぃ付けや。まぁでも、俺の顔見たらそいつも下手に動けんやろ。俺は外に出てるわ。」

 そう言ってサトシは店を出て行った。


 その後のバンダナの焦りようといったら!

バ「(彼・ヒンドゥー。僕・キリスト。僕・信じる。)」
バ「(僕・施設・連れて行った・親切。彼・違う。僕・信じる。)」

 この繰り返し。根拠なき宗教批判です。ミネの手には負えません。結局今日はダメだと悟ったのか「あまり腹減ってない」と言って、ろくに飯も食わずに帰っていった、自分から飯に誘ったのに。
 口が利けないということで真っ当な職を見付けるのは難しいのかもしれない。でも、マザーテレサをダシに使うのは、ちょっとねぇ・・・。
 

第七幕⇒

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シャシンカン



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